出会った頃は美しい女性器だったが、結婚22年、45歳の妻の女性器はすっかりグロテスクになってしまった。
陰唇は淫裂からハミ出し、先のほうは黒ずんで、めくれば灰色だ。
膣口周りは美しいピンク色だが、陰核は新婚時代にお医者さんごっこをしてアクリルの管で吸って剥き出させたりしたせいで肥大化してしまっている。
女性器を花弁と比喩することがあるが、妻の大陰唇と小陰唇を広げると、膣口を中心に花びらの様に見える。

純情で、下着姿で頬を染めた可愛い二十歳の頃の妻が懐かしい。
交際3か月、何度口説いても応じなかった妻に、
「なあ、そろそろいいだろ?」
とムードの無いセリフを呟いてしまった俺。
妻を車に乗せて、強引にラブホに入ったら、下着姿で頬を染めながら涙目になっていた妻。
それを見て我に返った俺は、抱きしめてキスだけして、服を着せてラブホを出て、何度も謝った。
バブルの頃に東京で大学時代を送った俺は、付き合えた女は気軽に股を開くものだと勘違いしていた。
女子大生もOLも、人妻でさえ口説けば股を開いた。
いや、あの頃は人妻の方が容易にセックスに応じてくれた。
「旦那だって女子大生と浮気してるんだもの。」
ってな感じだった。
故郷の田舎に戻ったら、都会とは違っていた。
妻は学生時代の元カノ達と違って、実に純情だった。

結局、妻がベッドインに応じてくれたのは知り合ってから1年、交際半年で妻は21歳になっていた。
裸を見られるのが恥ずかしくて震えていた妻は、足を開かれて陰裂を拡げられると、両手を握りしめて目を閉じて、真っ赤な顔をして恥じらっていた。
もしかして21歳で処女・・・そのもしかしてだった。
私にとって初めての処女、それが妻だった。
純情で従順な妻は、初体験以降、俺が何をしても拒まなかった。
妻は身体を俺に預けていたので、足をM字にして思い切り陰唇を広げて何分も視姦しても、クンニの快感にも、じっと耐えていた。
やがて、陰核よりも男の陰茎を捻じ込まれて膣内で感じるようになると、陰茎に対して愛情を注ぐようになり、それまでは形式的だったフェラチオが丁寧になった。

妻の初体験から約2年で結婚、セックスには慣れていたが、まだイクことは知らなかった。
新婚の頃は、週に10回はセックスをしていた。
従順な妻は、結婚してますます何でもさせてくれるようになり、アクリルの管で陰核を吸い上げてから弄り回して、妻をのた打ち回らせる恥辱の行為にも文句も言わず応じてくれた。
妻が初めてイッたのは、ラブラブで淫らな1年を過ごして子作りを始めた頃だった。
それまでは膣外に射精していたが、妻の膣奥深くに熱い精液を注ぐようになったら、子供を孕む行為に興奮したようで、毎回射精される興奮に期待して仰け反るようになり、そしてそれまでほとんど出すことが無かった喘ぎ声をあげるようになり、イクことを覚えた。
イクときの自分のはしたない状態を自覚していて、後で物凄く恥じらっていたが、やがて妊娠、出産、子育てを経験していくうちに、セックスの快楽を楽しむようになった。

思えば、俺は30代前半が最もセックスをしていなかったように思う。
まだアパート住まいで小さな子供と一緒に寝ていたし、妻が子育てに忙しかった。
セックスは、子供が寝てから居間に戻ってしていたが、妻が子供より先に寝入ってしまえばそれも叶わず、夫婦のセックスは週1,2回になっていた。
30代後半になり、家を新築して子供部屋が出来ると、夫婦のセックスは活発になった。
俺より、むしろ妻の方がセックスを楽しみにしていて、安全日になると、寝室に入るや俺のパジャマのズボンを脱がせて、陰茎を頬張る。
勃起させると全裸になって、仰向けで膝を手で広げて足をM字にする。
パックリ開いた陰唇の中は既にトロトロになっていて、早く入れてとヒクつく。
あの純情だった妻とは思えぬ淫らさで喘ぎ、
「今日は中にちょうだい。いっぱい出して・・・」
と中出しを懇願する。
次第にドドメ色になっていった陰唇は、気づけば黒ずみグロテスクな女性器になった。
何千回というセックスで、俺に弄ばれ、しゃぶり尽くされ、掻き回された妻の女性器。
グロテスクになったのは俺のせいだが、そんな妻は今でも俺の陰茎を咥えてよだれを流す。
吸い尽くされて肥大した陰核を震わせて、性の快楽に酔う。
そんな妻が最近やけに愛しく感じて、俺は来年50歳だというのに妻とのセックスが週4回に増えた・・・